ルーンクエスト情報局

新ルーンクエストの情報です。

グローランサの戦車(チャリオット)

■チャリオットの誕生


戦車が発明されたのは、「文明」と「遊牧」が出会うところでした。


馬が荷引き用の家畜として使用され始めたのはBC.2000年ごろ。当初はまだ馬の品種改良が進んでおらず、小型であった馬に引かせるために、できるだけ軽い乗り物として開発されたのが「戦車」(チャリオット)でした。
戦車自体(車台)は編み籠のようなものでつくられており、それに車輪と車軸(スポーク)がついています。車台はだいたい100cm×70cmぐらい。
戦車の部品――車輪、車台、挽き棒、金属部品――は文明国で作られ、馬は遊牧民から輸入されました。その使用の目的は、第一に「戦争」でした。(狩りのために使用されたこともあるようですが)
戦略上の革新としては、「弓兵が高速に移動できる」ことに尽きました。強力な打撃力とスピード(牛から馬へ10倍の速度に)をもつこの新技術に、定住民はまったく刃向かうことができませんでした。
戦車と同時期に実用化された合成弓(コンポジット・ボウ)は、弦を張ったときの長さも頭から胴までと短く、戦車の上からでも、馬上からでも使いこなすことができました。

……一人が駆り、他の一人が弓を射る戦車クルーは、一分間に六人も射抜くことができたのだった。戦車十台で十分間戦えば、五百以上の敵兵を負傷させることができるのである。これは当時の小規模の軍団にしてみれば、ソンムの戦いに匹敵するほどの犠牲者の数だった。

(同書、p.191)


こうした威力を持つ戦車は「軽くて輸送が簡単で、通貨をはたいても購入するだけの価値がある装備」であり、遊牧民を通じてユーラシアの文明国にも急速に伝播しました。ネックは馬の生産で、これが大量生産を阻んでいました。





最初に戦車を操った民族がどんな民族であったかは不明です。この「戦車帝国」をつくった民族は、征服した定住民の文明の中に吸収されて消えてしまったからです。

■各地のチャリオット

中国

殷王朝は戦車を使う北方の民族で、それをうち倒した周王朝も別ルートで戦車の使用を学んでいました。戦車は春秋時代まで戦争に使用されました。
戦車は貴族戦士同士で使われ、“騎士”道のようなものがあり、遊牧民のような動物を狩るような一方的な殺戮戦は行われなかったようです。(一騎打ちで決着を着けるのが最良と考えていたふしがある)

戦車貴族が模範的とした行動は、後の宋の戦争のエピソードの中に見られる。このとき司馬公の息子は、すでに弓に矢をつがえた戦士に出くわした。敵は矢を放ったが、射損ねた。そして司馬公の息子が弓を放とうとする前に、早くも次の矢をつがえた。司馬公の息子は叫んだ。「我に弓を射る順番を譲らぬとは、とんでもないならず者だ」(もともとの言葉は、夫子ではないとなっている)。その敵は順番を譲り、射抜かれて死んだ。

中国での戦車戦として名高いのは「城濮の戦い」です。

オリエント

オリエントでは、シュメルのバビロニアを滅ぼしたフリ人、エジプトを短期間支配したヒクソスなどにより戦車が伝えられました。それにより、王は「戦車に乗る戦士」としての性格を帯びることになります。オリエントの戦車戦ではエジプト新王朝のラムセス2世とヒッタイト帝国の戦い(カデシュの戦い)は有名です。


アッシリア帝国はシュメルを支配したフリ人を駆逐してましたが、その後にやがて生まれたのは世界最初の多民族帝国でした。戦車が遺した遺産は、「戦争国家」であったのです。 

■そして衰退


戦車は出現当時は画期的な軍事的イノベーションでしたが、いくつかの弱点がありました。
戦車は車輪軸(スポーク)が可動しないため、馬を操って車を「ドリフト」させるしか進路変更が効かず、機動力は騎馬に劣っていました。また地形の制約を受けやすく、平原での会戦以外では運用が難しかったのです。


また操作には2人以上の熟練した戦車兵を必要とするため、コストも高くつきました。貴族戦士のみで戦う時代(英雄の時代)が終わり、生産力の拡大により人口が増え、動員兵力が増大し歩兵が戦争の中心になってくると、相対的に重要度が低下したと考えられます。
中国ではこれが戦国時代にあたり、戦車戦は時代遅れとなっていきました。


衰退を決定的にしたのが、「騎馬」技術の進歩でした。BC.900年頃のウクライナで「あぶみ」と「鞍」が発明され、馬に乗って踏ん張って弓を射ることが可能になったのです。BC.700年頃には騎馬民族スキタイ人によりオリエントへの圧迫が始まります。やがてアッシリア帝国は、新バビロニアとメディアと結んだスキタイ人により首都ニネヴェを落とされ、BC.605年に滅亡します。


後を継いだ新バビロニア、そしてアケメネス朝ペルシア帝国は、いまだアッシリアの戦車戦争システムを引きずっていました。ペルシアの戦車軍団と「ガウガメラの戦い」で立ち向かったアレクサンドロス大王は、ファランクス密集方陣隊と、自身が騎兵の機動力を縦横無尽に操ることで勝利を収めます。皇帝ダリウス2世は逃亡し、ペルシア帝国は崩壊しました。


以後、戦車が戦場で主役となることはありませんでした。

その後のチャリオット

紀元前1世紀、ブリテン島ケルト人がチャリオットを使っていることをカエサルが報告しています。古代ローマでは戦車競技として残り(映画ベン・ハーで有名)、これは東ローマ帝国に受け継がれ12世紀まで続いたようです。
ローマでは道路網が整備され、郵便馬車が各地を結んでいました。これは戦争の道具ではなく、運搬道具となった(このころの馬は十分大きくなって重い馬車を引けた)、チャリオットの姿であったかもしれません。

■TRPGでのチャリオット


……さて、ファンタジーRPGは数多あれど、実際にゲームに戦車(チャリオット)が出てくるゲームを見たことはあまりありません。戦車競技はソードワールド等でも散見されますが、あくまで世界的な(ローマを思わせる)フレーバーとしてであって、PCたちが戦車に乗って敵と戦う場面はほとんどない、といっていいでしょう。いや、寡聞にして知らないだけかもしれませんが。そんなTRPGがあったら教えて下さい。


というか、じつは馬に乗って戦えるシステムが少ないような気がする。ファンタジーRPGでは騎士がいるのに皆歩いて戦っている(笑)。アリアンロッドにはあるらしいけど……


そんな中で、ルーンクエスト3版は騎馬戦闘ルールがきちんと整備されている珍しいゲームでした。馬に乗った敵はマジ恐ろしいです。ルナー兵の騎兵隊にチャージされた日にゃぁオーランス人も裸足で逃げ出しますよ!(されました)


そしてまた、なんとRQにはチャリオット運用ルールがきちんと整備されていたのです!!



モンスターコロシアムである。

モンスターコロシアム


モンスターコロシアムはゲートウェイ(汎用セッティング)のサプリメントで、あんまし売れませんでした(日本語版RQの最後の作品となってしまった)。なぜ「Drastor」ではなくこれを先に出したのかは未だによく分かりません(笑)。


こちらはファンタジーワールドを舞台にしてるので、馬じゃない動物で戦車を引くこともできます。RPGマガジンの「緊急企画 モンスターコロシアムでやるモンスターレース」という記事では、ユニコーン(イェローナ)、ドラゴンスネイル(混沌の爆発号)やデミバード(ドラゴニュート)、巨大カマキリ(トロウルの戦車)とかがチキチキマシンとレースをしていました。ムチャクチャだ(笑)。


戦車同士をぶつけて攻撃するだとか(戦車のAPが減る)、戦車の上から攻撃だとか、チャリオットの重さが速度に関係するだとか、だから呪鍛すると有利だよとか、なかなか凝ったルールでした。
でも、1回も戦車レースのシナリオはやったことがなかったなぁ。
まわりの人も、一緒についていた「クリーチャーブック」を目当てに買った人ばかりでした(笑)。


ちなみに、Rough Guide to Glomour という本によれば、ルナー帝国の首都グラマーには、その名も「モンスターコロシアム」という闘技場があったりします。帝国各地から変な生き物が連れてこられて戦わされたりしているんでしょうか。


■チャリオットの神々

太陽神殿

実はそのまんま「Chariot Gods」という記事が Tales of the Reaching Moon 誌 #16 にあります。作者はグレッグ・スタフォード氏。

人類に最初の戦車をもたらしたのは、イェルムである。いと高きイェルムが天空より地上へ降りたとき、彼はフットスツール*1に立って創造の御業をおこなった。さらに下に下りるときには、汚れた地面につかないよう、イェルムは皇帝の戦車に乗られた。戦車は炎でできた生きた黄金で作られ、二人の天使に御され、六頭の白馬に引かれた。それは天空をいく神の戦車(=太陽)の貧相な模倣品にすぎなかったが、地上世界が耐えられる最高のものであった。高き神がふたたび地上を去ったとき、「生ける黄金」と呼ばれた戦車は地上に残された。


その記事によれば、チャリオットを初めて使ったのはイェルムだということになっています。
イェルムは大地を非常に汚れたものだとして嫌っておりまして、地上に下りたときは「踏み台」(フットストール)の上に乗って大地に触れないようにしておりました。なおこのフットスツールは今もライバンス市に残っており、ありていにいうと階段状ピラミッド(ジグラット)です。



こんなの。


で、イェルムが移動の際に使ったのが「皇帝のチャリオット」(Imperial Chariot)と呼ばれる生命をもつ黄金で出来た戦車で、4柱の天使と2頭の馬(のように見える天空の生物)に引かれていたそうです。イェルムが再び地上を離れたときに、このチャリオット(「生きる黄金」という)は地上に遺され、人類の皇帝であるムルハルツァームが受け継ぎました。


嵐の時代になると、ダラ・ハッパ皇帝は「生きる黄金」のコピーを作りました。しかし、嵐の神々との戦いの中で「生きる黄金」は壊され、やがて戦車の知識そのものが大暗黒のなかで失われてしまいます。


大暗黒時代の末期、皇帝ジェナロングは「生きる黄金」の車軸を発見し、馬を使って六頭立てのチャリオットを復活させました。ジェナロングは「戦車の守護神」として現在でも信仰されているとのこと。


もう一つ、チャリオットとの関係で想起されるのは、荷車の神ロカーノウスです。ロカーノウスは「車輪」の発明者ですから、戦車とも何らかの関係があると思われます。

嵐の神殿


んで、オーランス神殿での戦車の神となると、西山さんのおっしゃるように移動の神マスターコスということになります。「オーランスの御者」と呼ばれており、オーランスの《誘導瞬間移動》とかはマスターコスの提供する力です。(ヒーローウォーズでもそうなってる)
ですが、鮎方さんの言われる通り、マスターコスがチャリオットを使ったという神話は、Storm Tribe でも「ゆりかご河」でも「グローランサ年代記」でも見あたらないんですね。オーランスが「光持ち帰りし者たちの探索」に旅立つときに使っているぐらい?(それも探索の途中でシャーガシュにぶっ壊されている) 神話を読むと、それよりも「瞬間跳躍の神」としての性格が強い気がします。
マスターコスは、戦車「も」使える神、という位置づけなんじゃないでしょうか。移動の神だから、イェルム神殿の高速移動する乗り物も使えるぞ!みたいな。

考察


イェルムがチャリオットを作ったのだとしても、戦争に使われることはなかったと思われます。蛮族と戦うために「軍隊」を発明したのが、その息子のムルハルツァームだったから。そのときも、天空の生物をつれてきてチャリオットをひかせていたらしいので、数は少なくてホントに「英雄を乗せて移動する」だけだったのではないでしょうか。


本式に「戦車」として使用したのは、やはりジェナロング朝の始祖ジェナロングでしょう。彼の祖は遊牧民でカルグザントを信仰していたらしい(このへん参照)。馬をつかった戦車は彼が発明したと見てよいでしょう。


チャリオットは、現実と同じように「高速移動する弓兵」として活用されたと思われます。もちろん歩兵と弓兵と組み合わせてでしょうが。戦車を知らない民に対してはものすごいアドバンテージがあったため、ダラ・ハッパ帝国を再建することができたのでしょう。
ただ問題は、ペランダでは既に「ダクスダリウス」という神によりホプライト密集方陣が発明されていたので、これをうまく運用すれば戦車に対してはそんなに劣性にならないことでした。だんだんと戦車に対する戦い方を学んだ敵に対し、ポールウェポンで対抗したり、《光の壁》をたてて馬を防御したりしましたが焼け石に水。最後には「移動する《光の壁》」として運用されていたりしたようです(笑)。


グレッグ氏の「Chariot Gods」によれば、ジェナロングの戦車も、騎乗技術の導入によって騎馬にとってかわられたとされています。あぶみと鞍がどこで発明されたかは不明?なのですが、思うにヒョルト系のハイアロールの民であったのかもしれません。“馬馴らし”ハイアロールの神話とかあるし。セアードの現在のジラーロ周辺で発明されて、そこからジェナロング朝に逆輸入され、ダラ・ハッパから駆逐された民がペント遊牧民にとなる……のか?


いずれにせよ、やがて戦車は現実の世界と同じように、儀式や戦車競技にしか使われなくなったのでした。

現在(1600年代)のチャリオット


戦車競技は、ジェナロング帝の時代から続く伝統として現在のルナー帝国でも広くおこなわれています。昨日書いたモンスターコロシアムみたいのもあるし(笑)。赤の皇帝ケレスティヌスも「天覧試合」(Celestrial Games)を創始しており、毎年帝国全土で行われている模様。ファーゼストとかにも闘技場があるんではないでしょうかね。


戦場ではどうかというと、デレティヌスという人が8世紀ごろ「戦車の上から高速連射できる弓を複数名のせる」とうい戦術を編み出し、それが現在も使われているようですが、その魔術を使える技術を持った人をそろえるのが難しいためほとんどいないというのが現状のようです。


そして、ようやくオーランス人の戦車についてです。


実は戦車を使うオーランス人は2部族?ありまして、ラリオスの東部原野のオーランス人と、ヒョルトランドのヴォルサクシの民です。


ラリオスのオーランス人の場合は、「馬に乗れない」という呪いをマルキオンの聖人クスから受けておりまして、しかたなく戦車に乗っている、というのが本当のところのようです。(Glorantha: the Second Age)
ヴォルサクシの民については、Tales of the Reaching Moon に、「ヴォルサクシ人は戦車を使う最後のオーランス人だ」というルーモアーがありまして、これが「真実」とされている、というのが唯一の情報です。(ここに翻訳記事あり。6号の5番です) これについては、今月出る「History of the Heortling People」に期待、ということで(笑)。


ただ、どちらも、戦場でメインとして使われることはほとんどないと思われます。地形の制約を受けやすい(中国では、わざわざ「戦場予定地」を整備したりしたらしい)弱点があるんですが、東部原野もヒョルトランドも山ばっかりなので。
そこでは、マスターコスも「御者」としての性格をもっと強めたかたちで信仰されているのかもしれませんね。英雄カルトとかの形で。


イェルム神殿、オーランス神殿とも、神話時代には戦車が使われていたので、ヒーロークエストなどの儀式では戦車が使われることはあると思われます。
イェルムの十のレガリア(王権を象徴する神器。草薙剣とかみたいなの)の1つにもあったのではないかな。調べてないけど。
オーランス人は、「西行」の儀式とか、(「オーランス、戦支度をする」)だとかの儀式で戦車(に見立てた荷車とか?)は使うけど、実際は使用していないのではないでしょうか。

*1:足置き台のことだが、バビロンにあったようなジグラット(階段状ピラミッド)を差す