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第一期の歴史:ダラ・ハッパ帝国コルダフ王朝

ダラ・ハッパ皇統譜。まずは、実質上のダラ・ハッパ帝国の建国者である、コルダフ大帝より。


■コルダフ朝

第二十六代 コルダフ(在位221年〜247年)

コルダフは太陽槍の英雄アヴィヴァスの曾々孫、「十の皇子」の一人“兵士”コルツァネルムの息子。

十の皇子たちは、失われた十の神器を発見しつつ、ダラ・ハッパの中心地をほぼ統一した。コルダフはその後を継ぎ、221年、最後の神器「マニマトの首飾り」を発見して皇位に就き、コルダフ王朝を開いた。太陽馬カルグザントではなく、皇帝イェルムを信仰する王統の復活である。

衰微したジェナロング朝は、さらに南方より侵攻したジェナーテラ高等評議会の連合軍に「アージェンティウム・スリーリーの戦い」で破れ、中原をはなれペントの荒野へと去った。コルダフはジェナーテラ高等評議会と和を結んだ。

コルダフはイェルムに習った社会秩序を回復し、プレントニウスに命じ「イェルムの輝ける再昇」を編纂させた。それによりイェルム信仰を再確立し、部族間・階級間の闘争を終結させ、皇帝権の確立に力を注いだ。またはじめて街道を整備し、帝国の通商を発展させた。

コルダフは247年に没した。




第二十七代 アニメーシャ(在位248年〜268年)

アニメーシャはコルダフの子である。最初は司祭職に就く意図を持っていたが、諸貴族より懇願を受け即位した。

アニメーシャ帝はライバンスの「天使橋」を完成させ、オスリル河に分断されていた市街を結んだ。また司祭職の典範を定め、信仰体系を整理した。


廃帝)ウォンサネルム、呪われし (在位269年〜278)

コルダフ朝第三代皇帝は、人倫を乱し世を惑わしたことで諸官より迫られ退位を余儀なくされた。

後に、ウォンサネルムは「十の試練」を欺いていたことが明らかになり、廃帝と定められた。


第二十八代 アニルダフ、謙譲帝(在位279年〜306年)

アニルダフ帝は、十大司祭職(1.ダーゼイター、2.アンティリウス、3.ロウドリル、4.デンダーラ、5.シャーガシュとポーラリス、6.ナヴェーリア、7.オスリラ、8.ブシェリアン、9.ロカーノウス、10.ウーレイニア)を定め、聖職者の地位を皇帝に仕えるものであると明確に規定した。またウォンサネルムの治世で乱れた人倫の回復につとめた。

アニルダフ帝は皇后の裏切りにあい、以後は皇后も愛妾も置かなかったことで知られる。


第二十九代 エライダフ、征服帝(在位307年〜333年)

エライダフ帝は学究心に溢れる皇帝と伝えられる。帝はペランダの学者たちを帝国に招くことを考えたが、それがうまくいかないとなると、軍を起こしてペランダの征服に乗り出した。ペランダの都市国家群はダラ・ハッパ軍に抵抗したが、最終的には征服された。

333年、エライダフ帝は暗殺された。


第三十代 マーツァネルム(在位332〜345)

マーツァネルムは第二十七代アニルダフ帝の従兄弟であり、その将軍の座にあったこともあった。彼はユスッパの反乱を率いエライダフ帝を暗殺し、帝位に就いた。彼の行動の動機は、前帝とは違い世俗的なものであった。
マーツァネルム帝は周辺国の征服を続行し、リンリディとヴァンチを帝国に加えた。
マーツァネルム帝は、リンリディの反乱鎮圧のさ中、戦死した。


第三十一代 エルツァネルム(在位346〜367)

エルツァネルムは大幅に領土を拡大した帝国を受け継いだが、イェルムの不完全性についての懸念を持っていた。南方の「ジェナーテラ第二評議会より、「神の創造」計画を伝えられた帝は、新しい神オセンタルカの創造計画を強力に押し進めた。
エルツァネルム帝の治世の後半は、アリールで反乱が頻発し、その鎮圧の最中に戦死した。


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第三十二代 コルツァネルム、大帝(在位368〜405)

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コルツァネルムは前帝の後を継ぎ、世界友邦評議会に協力してオセンタルカの創造計画を推進した。また彼の治世下、ダラ・ハッパ帝国はその最大版図を現出し、「大帝」と贈り名された。

375年、ドラストールでオセンタルカが創造され、直ちに「ナイサロール」と改名された。歴史時代に神が生まれたことで「時」は崩壊し、太陽が中空に静止した。太陽はアラクニー・ソラーラの網に引かれて再び動き出したが、この時以来、太陽は弱々しく、時の流れさえも変化したという。

ダラ・ハッパの人々は、この太陽停止を「イェルムが復活し、中空から大帝を祝福した」と認識した。

コルツァネルムは「皇帝のイェルム」と「炎の心のナイサロール」のカルトを広め、社会不安を静めた。また「ナイサロールの光の帝国」では、イェルム神殿とオーランス神殿の神話の融合が進んだ。

405年、大帝は崩御した。
彼の無い世界を生きることを儚み、多くの殉教者がその火葬の炎の中に身を投げたと伝えられる。


第三十三代 ラダイダフ(在位406年〜422年)

コルツァネルム大帝の子。28歳にして即位した。彼は将軍としてラリオスでアーカット軍と戦っており、平和慣れした帝国の中、単身いずれ来る戦争に備えて的確な施策を行った。

ラダイダフ帝は現在も「ナイセイ街道」と呼ばれ使用されている街道を整備し、辺境に植民者を送った。軍団を整備し、経済を振興して都市を強化した。

アーカットはラリオスよりカートリン峠を越えてドラストールへ入ろうとしたが、敗北し殺された。帝は安堵したと伝えられる。

ラダイダフ帝は、落馬の傷がもとで崩御した。その火葬の灰は煙を出すことなく数週間も炎で光り続けたと伝えられている。


第三十四代 アニレストゥ、戦王(在位423〜431)

アニレステゥはラダイダフの子で、コルダフの儀によって皇位に就いた。アニレストゥは多くの凶兆に接し、戦の準備を進めた。

アーカットは南方で蛮族により復活し、ウズが帝国各地に出没し、ドラゴニュートが反乱を起こした。アニレストゥ帝は神王ナイサロールと歩をあわせ対策を取った。帝は戦士ではなかったが、老練な戦略家であり、将軍たちを使い南方戦争を戦った。

だが「ハンガリウムの戦い」(現アガー地方、エネアル近郊)で大敗北を喫すると、セアードの諸侯は蛮族に降伏した。蛮族軍は兵を二つに分け、一方をドラストールへ、一方をダラ・ハッパへと向かわせた。

ドラストールのナイサロールより救援の依頼を受けたアニレストゥ帝は、「ナイサロールが滅びれば、世界が闇に墜ちる。我らが滅んでも、神のみもとに行けるだろう」と言い、最良の部隊と英雄たちをドラストールへ送った。そのため、ダラ・ハッパの諸都市は蛮族たちに蹂躙されることになった。この行為により、アニレストゥはまた“末帝”の名で呼ばれることもある。

帝の願いも空しく、アーカットはナイサロールを破壊し、ばらばらにして世界にばらまくと、ドラストールに呪いをかけた。ドラストールは混沌の渦巻く魔境と化した。蛮族たちはナイサロールを思わせるもの全てを破壊し尽くした。

アニレストゥ帝は蛮族に捕らわれ、廷臣の館に幽閉されて一生を終えた。その最後の言葉は、帝国の行く末を案じる言葉であったという。


ここに、コルダフ王朝は滅んだ。