ルーンクエスト情報局

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ルナー帝国の「啓発」について

「啓発」(Illumination)


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“啓発”の力は第一期の“光の神”ナイサロールによってグローランサに広まりましたが、「事前に疫病を広めておいて、癒し手として現われてカルトを広める」とか酷いことをやったために反発を受け、アーカットやハルマストをはじめとする諸民族の反攻を受け滅ぼされました。


「啓発の道程」(RQ2 のサプリメントが原典)によれば、その神話はつぎのようなものになります。

ある者はラーショランと呼ばれ神がこの哲学を発展させ、教えを広めたという。ラーショランは最後に生まれた神々か、最初に創られた混沌の神性のいずれかであった。彼は大暗黒のあいだの何れの時かに混沌の神に殺されたと言われている。


第一期の終わり頃、死すべき定めの者たちが新しき神を作り出すことに成功した。それは“完全なるもの”オセンタルカ、後に“輝けるもの”ナイサロールとも呼ばれた。その神はぺローリアの人々にこの尊称で恭しく崇拝された。ジェナーテラ西方では、この神性は“裏切り者”“呪われるべき虚言者”を意味する耳障りな言葉「グバージ」という名で呼ばれた。


(中略)


「解放者」たる“フマクトの息子”アーカットは大陸を横断する灰燼の道程を残し、三世代にわたる英雄的な大地の浄化を率いて、ついには最後の勝利を得た。ほとんど誰もがこの神は滅ぼされたのだと信じた。カルトと生き残りの信徒が神の死を越えて生き延びたのかどうか論ずるものもあるが、誰もが啓発の哲学は生き延びたのだということを認めている。第一期から今日ルナー帝国で公式にナイサロールが崇拝されるようになるまで、ひそかにグバージ信仰は続いていたのだと主張している者もいる。


第三期に入り、赤の女神は偉大なる探索の道に乗り出し、その途中で精霊界の虚無の影への道を探し求めた。彼女はそれと出会って打ち負かし、その過程でナイサロール神に啓発された。彼の知識をもって彼女はさらに深奥へと進み、クリムゾン・バットをその永遠の束縛から解放した。彼女はバットを伴い故郷に帰還するとその強大な帝国を確立したのである。その時以来、啓発の哲学を含むナイサロールのカルトの教義は赤の女神のカルトにとって不可欠なものとなった。

で、啓発とはなんだったのか。
前のエントリによるまとめによれば、次のようになります。



啓発は神秘主義的(Mysticism)な悟りを通し人間の通常の精神状態を破壊し、特殊な洞察・世界観を人々に与えるものです。それは「あらゆる判断基準は自分の中にしかない」という悟りです。啓発は非常に危険で、簡単にその「暗黒面」に陥りかねません(判断基準が自分の中にしかないのであれば、他人や社会の存在は馬鹿馬鹿しいものに思えるかもしれません)。ルナー帝国には多くの啓発カルトが存在し、啓発者が暗黒面に陥らないように指導を行っています(しかし中には啓発の暗黒面のみを求める異端の啓発カルトも存在し、取り締まりの対象となっています)。

啓発の暗黒面は避けがたく、それによりナイサロールはオーランス人からは「混沌の光の神」であると看做され、それを受け継ぐ赤の女神も混沌であると認識されています。


啓発の悪しき点については、マルキオン教徒の言から引いてみましょう。

もし啓発された者が利己的であったなら、他人をその目的を促進するための道具として見るだろう。もし啓発された者が交流前に基本的に善人であったなら、今や自分は他者にとって最善のものを理解した―自分の道徳観が他者のものより優っている―と思い、そして他者を「真に」幸福にしてやるために必要なことを実行しようとするだろう。これがセシュネラでおこったことである。謎かけ師はセシュネラの住人がナイサロールの黄金の統治下でより幸せであると理解し、そして謎かけ師はセシュネラ人に恐るべき死を与えた。それはセシュネラ人自身の幸福のためであったのだ! このような尊大さが“暗黒面”と呼ばれる不節制のうちで最悪なものと同じくらい恐ろしいものなのである。


今日、ルナー帝国は啓発を支持している。帝国の支配の下ですべての人々はより幸せとなるのだ、と彼らは主張する。胸に問うてみよ、クリムゾン・バットはおとぎ話なのか? バットは恐らく帝国市民を守るのだろう―だがそれは何人の者をむさぼり食うのか?


ルナー帝国内の恐怖に満ちた噂がある。全てヴァンパイアからなる軍団が戦争に向け訓練を受けている。暗殺者たちが古き名誉ある家系を滅ぼした。見世物に飢えた大衆を満足させるために混沌の剣闘士が非常な闘いを行っている。殺人者と売春婦が神として崇拝されている。その受け入れ易い形態の啓発をもってして、帝国はかつてのグバージの暗黒王国に匹敵する世界の脅威となった。実際に帝国は脅威を増している。なぜならそれを敵とするアーカットはもはやないからである。


周辺諸国からこんな風に見られているので、ルナー帝国はどこにいっても脅威と考えられてしまいます。


ナイサロールの教える啓発の力は、以下のようなものでした。

  1. 秘密の知識:混沌自体は悪でも有害でもない。
  2. 他の啓発者を認知する力。
  3. 〈混沌感知〉などへの免疫。
  4. カルトの制約を無視する力(フマクトの加護を得ながら、制約を無視するなど)
  5. カルトの復讐精霊への免疫
  6. 他者を啓発する力


ただ、Imperial Lunar Handbook 2 の "Sevening and Illumination" によれば、赤の女神の教える啓発は、ナイサロールの啓発とはまた別のものであるようです。
では、ルナー帝国における“啓発”とはどのようなものになっているのでしょうか。

赤の女神の啓発


大きな違いは、赤の女神の審問官により指導が行われること、啓発の道程がシステム化されていることです。


ナイサロールの啓発は公案のような「謎かけ」によって行われ、次第に〈啓発〉技能が高まり、ある時に突然啓発されるというプロセスを踏みます。ルーンクエストのルールにおいては、「謎かけ」の意味を理解できるかはまったくランダムでした(ランダムな技能の能力値を仮につかって判定する)。


これに対し、赤の女神の〈啓発〉では、ルナーの神性、すなわち既に人間から神へと至った“覚者”(Immortal)たちの道の深淵を理解することで、啓発が得られます。


たとえば、ルナーの道を開いたといわれるヴァラーレ・アッディの記した「エンテコスの物語」(Entekosiad)は、この「第七の魂の覚醒」を理解する教材となっているそうです。自分は 「Entekosiad」 (グレッグの Unfinished Work で、グローランサの架空の書物でもある)を読んでも理解できないので、まだ啓発はされていないようですが(笑)。


また、啓発されるための儀式「第七の魂の覚醒の儀式」(Sevenig Ritual)を受けるためには、まず赤の女神の「啓発審問官」の審査をうけ、許可を受ける必要があります。


そして、啓発の儀式を受けると、〈第七の魂/啓発〉(Seventh Soul / Illumination) または〈第七の魂/魔境〉(Seventh Soul / Occlusion) のいずれかの能力値を獲得します。判定に失敗しても、例外なく第七の魂が覚醒してしまうのです(結果、発狂したり死亡したりする場合もありますが)


ルナーの道においては、啓発とは「全」(All)を理解することとされています。


「全」は、ルナーにはグローラ・オルノール(GlorOranor)とよばれます。宇宙女神グローランサのことでしょう。
ルナーの理解によれば、世界は「全」の状態から次第に「分割」されていき、大暗黒の最後の破滅へ至りました。それを反転させたのが赤の女神の啓発=「自分は全にして一である」という認識だったとされています。


第七の魂を覚醒させた人間も、しかし誤った「悟り」を得てしまう可能性があります。
それが「魔境」(Occlusion)です。

魔境(まきょう)とは、禅の修行者が中途半端に能力を覚醒した際に陥りやすい状態で、意識の拡張により自我が肥大し精神バランスを崩した状態のことを指す。ユング心理学で「魂のインフレーション」と名づけられた状態だという指摘もある。


日蓮は、「瞑想により仏陀如来が現れたときは(瞑想内のイメージの)槍で突き刺せ」と教えている。これは、瞑想中に神格を持つものとの一体感を感じた結果「自分はすごい人間だ」と思い込んでしまい、エゴが肥大してしまうのを防ぐ、すなわち魔境に入ってしまう状態を防ぐための教えだとされている。

(魔境 - Wikipedia)

魔境とは、「全」の誤った理解の結果である。しばしば「宇宙全体の無識別を知り精神的に滅びた状態」「個我の無意味さの理解」「自我を失い、なにものにも代替されていない状態」などと記述される。すなわち、個我は全であることを、「自分が全である」と誤解するのである。

(ILH2,Sevening and Illumination, p.33)


Roderic Robertson 氏は、第三期のナイサロールの啓発(ルーンクエストの〈啓発〉ルール)では常に「魔境」に入る、と述べています。(第一期のものとは違うらしい)
魔境に入ったキャラクターは、oomizuao さんの言うとおり、非常に敵役NPC にふさわしい存在になるでしょう(笑)。


しかし、〈啓発〉は一度得てしまえば常にそのままか、といえばそうではないようです。


ルナーの啓発では、「全」自体は理解できないので、段階をおいて理解を進めていきます。精神的なショックを受けたり、世界観が揺らぐようなことがあるたびに、「全と対面する」(Confronting All)ことが必要になります。


たとえば、「愛する人に裏切られた」「自分の信じる神が信じていたのとは違う存在だと知った」「混沌の怪物に襲われる」「ナイサロールの謎かけを受ける」「同一存在だと思っていたものが戦うのを見る(例:ルフェルザとセデーニア)」などが例としてあげられています。


この「全との対面」は、かならず前回の〈啓発〉より強いものが襲ってきます。そして、その判定に失敗すれば、〈第七の魂/魔境〉に入ってしまうのです。このとき、能力値は啓発の能力値を引き継ぎます。(より強力な魔境に入ってしまう)


逆に、魔境から啓発へ戻ってくることも可能です。

啓発の目的とその利益


最終的な〈啓発〉の目的は、“覚者”(Immortal)となることです。
(覚者とは「悟った者」すなわち仏陀のことですが、まあ意訳しすぎかねえ。わかってやってますが)


ルナーの道では、存在(being)に、7つのランクをつけています。

  1. ソーサル(Sosal):大いなる存在、セデーニア。
  2. ブレセル(Bresel):大いなるものたち。ヤーナファル、ディーゾーラなど。
  3. アーマジ(Armaj)、覚者:人間が悟りへ至り(Enlightenment)、神となったもの。
  4. ウルハンガ(Urhanga)、先導師:覚者たちへ信者の信仰エネルギーを集め、送るものたち。ジャ・イールなどもここに入る。
  5. デュル(Dru)、叙聖者:ルナーの道に集中化し、帰依したものたち。
  6. ルア(Rua)、修練者:熱心な信者たち。
  7. シュサン(Shusan)、教徒:俗信徒、平信者相当。


信者から神への階層が明示されていることに注目。
ルナーの道では、人力車の車力なんかも神になりかけてます(失敗しましたが)。
でも暗殺者や売春婦は神になっています。


ルナー以外の宗教においても信仰をうける神/英雄になることはできますが、それぞれの存在として、恒常的に信仰を受けていないと(Arcane Lore によれば「1000人の信者」がいないと)、儀式に現れたり、魔術を現世にあらわしたりすることが難しくなります。そうした現世利益を与えられなくなった神は、急速に信者を失い、休眠状態となります。やがてその存在は非人格的な魔術力の流れのなかに飲み込まれ、存在が失われてしまいます(*)


(*)もともとが強力な神であれば、長く休眠状態にあったあとに「再発見」されて、信仰をとりもどすこともあります。そのときは名前が変わっていたりするので、もとの神とは分からなかったりする……イェルマリオがそんな感じです。あんた、もしかしてナイサロール?みたいな。


ルナーの道では、「尊崇の鎖」(The Chain of Reverence)というシステムをつくり、下位のものから上位のものに信仰エネルギーを送ることで、この「信仰が失われる」という状態を防ぐようになっています。(赤の女神に向けられた信仰のおこぼれをもらえるので、小神であっても存在が維持できる)


前回述べたように、〈啓発〉は「全と対面する」ことで上昇していきますが、これはヒーロークエスト・チャレンジ(HeroQuest Challenge)の一種として扱われます。強い「世界への疑念」に対して勝利をおさめれば、より早く〈啓発〉技能は上昇していきます。(啓発技能が高まるごとに、成長スピードが上がる仕組みですね)
最終的には、10w15 の〈啓発〉技能を得れば悟りを得るそうですが( ゚∀゚)、それ以前に神になって、月で研鑽を積むものもいるようです。


通常、神は物質界に顕現できませんが、悟りを得たものは物質界にいながらにして神のような存在になるようです。彼らには後光がさし、彼らに対する行為は必ずファンブルする、とか書かれている。
ただし、そういった存在になった者は、神の特性として「自由意思」を失いますグローランサの定命の者と神とを分ける特徴のひとつに、「自由意思を持つか否か」がありますが、覚者はグローランサの諸力のひとつをつかさどるものとして、自分の意志で物事に対処するということができなくなります。「大いなる盟約」に取り込まれるということでしょうか。
神になるには、〈啓発〉状態でなくてはならず、〈魔境〉状態のものは神にはなれません。


では、そのような〈啓発/魔境〉の力はなにか。
ナイサロールの啓発と似ていますが、基本的には「世俗/世界の法のなかの境界を認識しない力」です。

  • カルトの制約を無視することができる。
  • 全ての魔術システムに対し、適切な抵抗技能として使うことができる。
  • 精神的攻撃に対する抵抗技能として使うことができる。
  • 別の魔術システム(神教、魔道、呪術など)の魔術を、集中化しているかのように使うことができる。
  • ルナーの神への信仰で〈啓発/魔境〉を増強できる。逆に、ルナーの神以外の信仰によってペナルティを受ける。


この他に考えられる使い方としては、

  • 異界の障壁を無視する力。異界に入るときに〈啓発/魔境〉を使える。
  • 異なる異界のペナルティを無視する力。
  • 世界の法則を無視する力。たとえば重力の法則を破り空中に浮遊する、など。


なども提案されています。「距離」を無視してテレポートするとかもありかも。(もちろん、強力な「世界の抵抗」があるでしょうが)

まとめ:啓発とは何なのか

啓発は神秘主義的(Mysticism)な悟りを通し人間の通常の精神状態を破壊し、特殊な洞察・世界観を人々に与えるものです。それは「あらゆる判断基準は自分の中にしかない」という悟りです。啓発は非常に危険で、簡単にその「暗黒面」に陥りかねません(判断基準が自分の中にしかないのであれば、他人や社会の存在は馬鹿馬鹿しいものに思えるかもしれません)。ルナー帝国には多くの啓発カルトが存在し、啓発者が暗黒面に陥らないように指導を行っています(しかし中には啓発の暗黒面のみを求める異端の啓発カルトも存在し、取り締まりの対象となっています)。このような危険な性格を持つため、ルナーの神々を信じる者のなかでも啓発を望むものはそう多くないと思われます(中世ヨーロッパで民衆の大多数がキリスト教を信仰しているにもかかわらず、誰もが修道士になろうとは思わなかったのと同じと考えて下さい)。

啓発の誤ちとは?

 何度も述べてきたように、グローランサ人の多くは啓発に対して普遍的な恐怖や嫌悪を抱いています。しかし実際は、啓発されているからといって恐るべき混沌のカルトに加わったり、憎むべき犯罪に手を貸したりする必要はないのです。現実に、ルナー帝国の哲学者には、啓発とは誰もが成し遂げなくてはならない平和的な啓蒙の形だと説く者が少なくありません。


 にも関わらず、一般にナイサロールの暗黒面(ダークサイド)として知られる謎かけ師らの邪悪な行いの記録が、いくつかグローランサの歴史に残っています。特に有名なのは、啓発者に対する(多くは偏見に満ちた)警告としてよく引き合いに出される、第1期セシュネラにおける謎かけ師の行動です。


 彼らは、大衆の間に人工的な疫病を流行らせました。そして、それが十分な効果を上げるのを待ち(一説には何千人もの命が失われたとされています)、次いでそれを「癒す」ことによって、救世の使者として人々の前に現れたのです。この経緯によって、セシュネラでは啓発の教義がすんなりと受け入れられました。


 この物語は、啓発について多くを知る哲学者の間では、別の意味での警告として受け入れられています。啓発を受けた者は、世界の全て…神話や魔術から倫理・モラルに至るまで…について唯我論的視点を得ます。自らを縛るモラルが自身の意志のみであると知った時、他者の求めを無視するという誘惑は抗し難いものです。啓発が個人の世界に対する視点を変えるだけで、個々の精神的傾向に直接的影響を与えるわけではないことは既に述べました。もしも利己的な人物が啓発されたなら、彼は他者を自身の目的を推進する道具としてしか見ないでしょう。これがいわゆる「ナイサロールの暗黒面」です。


 しかし、啓発を受けた個人が善良であったならば、彼は自身のモラルが他者のそれよりも重要であると悟り、その結果彼らに「真の」幸福をもたらすために必要である(と自身が信じる)ことをするかも知れません。これが、第1期セシュネラに起きたことの原因なのです。当時の謎かけ師たちは、セシュネラの人々がナイサロールの黄金帝国に加わることでより豊かになるであろうことを知っており、「彼らのために」恐るべき死を振りまいたのです。その行いはむしろ「暗黒面」とは正反対の意志をもってなされたことですが、結果としてもたらされた災厄は、(それが実際にはセシュネラ全体のためになったとしても)「ナイサロールの暗黒面」のもたらす最悪の結果と匹敵するほどのものでした。


 果たして、このような行いは正しいと言えるのでしょうか。今日、ルナー帝国はその統治下において万民はより幸福になれると主張しています。しかし、クリムゾン・バットを始めとする数々の恐怖が存在するのもまた事実です。バットによって帝国の安全が守られるのと引き換えに、一体今まで何人の人々がバットの餌にされているのでしょう。ルナー帝国をグバージに匹敵する脅威であるとする学者たちは、しばしばこの事実を指摘します。ルナーの行いは、まさしく第1期セシュネラの謎かけ師と同様であると…。しかし、その視点そのものが、混沌を悪と決めつけるグローランサ人に普遍の観念の上に立っていることも確かです。


簡単にいうと、啓発は「グローランサにおけるポストモダニズム」ではないでしょうか。